番町皿屋敷 皿かぞえ

今回は、誰もが知ってる怪談「番町皿屋敷」の舞台となった番町を訪れました。
皿屋敷伝説は、各地にあり「番町皿屋敷」は、その一つです。
「番町皿屋敷」の舞台は、牛込御門内五番町にあった青山播磨守主膳の邸。
主人公は、そこの奉公人“お菊”と云う女性です。
ある日、お菊さんは誤って主人の大事にしている揃いの皿の一枚を割ってしまいます。
主人は大層怒り、お菊さんは責任を負わされ手打ちにあい死んでしまうのです。
そして、亡がらは古井戸へ投下。
なんとも痛ましい事件でしょう。
それからというもの、夜な夜なその井戸底から皿を数える声が聞こえるようになりました。
その井戸にお菊さんの怨念が宿ったと云うことでしょうか。
「一まい……二まい……」と皿を数えます。
「八まい……九まい……」
ここで途切れ、最後にはお菊さんの断末魔と言うか絶叫が聞こえたと云います。
その噂が広まり青山主膳は取り調べを受け事件発覚となりました。
その後、所領没収お家断絶に。
問題のお菊さんの怨念ですが、了誉上人と云う偉いお坊さんの読経により成仏となります。
麹町にあった常仙寺と云うお寺には、件の絵皿が納めてあったそうですが、常仙寺は現在の杉並区に移り、その所在は特定できないそうです。
「番町皿屋敷」は、戯曲、落語などにもなり話のパターンも色々。
皿は嫌がらせで誰かが隠したとか、お菊さんは束縛され監禁されていたが、逃げ出し自ら井戸に落ちたとか、中指を切り落とされたとか、青山主膳とは恋仲だったとか…。
伝説は、時が経つにつれ尾ひれを付けたり、枝分かれしたりしていくものです。
それはそれで面白いですね。
市ヶ谷駅で下車です。
古地図をみますと武家屋敷が立ち並んでた所です。
現在はオフィスビル群が立ち並んでいます。(゜д゜)
市ヶ谷橋。
外堀に懸かる橋です。
史跡立て札。
市ヶ谷門に架かる見附橋であり、寛永13年(1636)建造。
今のこの橋は、昭和2年(1871)に架設。
市ヶ谷門は、外堀の土手に桜が多いので別名「桜門」ともいわれていた云々。
つる邪魔!ヽ(`Д´)ノ
橋の上から外堀を眺めます。
バスクリンのやうな水…。(-_-;)
外堀通りを歩いてラーメン屋さんへ。
看板が無いお店「麺処 くるり」。
美味しい味噌ラーメンを食す。
並んで待っている際、何気に写した高層ビル。
法政大学だった。(;゚Д゚)
少し離れた新見附橋上から番町方面を望む。
丁度、総武線の電車が通る。
市ヶ谷門が別名「桜橋」と云われたとおり土手には桜並木。
春には電車からでも桜の花が見える所です。( ´∀`)
土手から望む風景。
昔はここから江戸城が見えたんだろうな?。( ̄ー ̄)>
また市ヶ谷駅前に戻ると何やら立て札が。
市ヶ谷御門橋台の石垣石。
江戸城外堀跡の市ヶ谷御門橋台に築かれていた石垣の一部。
石に刻まれている刻印は、石垣を築いた大名家や職人の印と考えられる云々。
立て札下の石がそれらしい。
市ヶ谷駅前から番町を望みます。
武家屋敷群だったという痕跡はないですね。
この路地が「帯坂」への入り口。
「帯坂」の名は、お菊さんが髪を振り乱し帯を引きずって逃げたという伝説から。
(;゚皿゚)」
「帯坂」へ。
緩やかな坂を上ります。
因みに、お菊さんは齢16。
まだ少女だったんですね。
更に上ります。
お菊さんには、会えませんでした。(*´Д`)=з
っていうか、帯坂の標識を撮り忘れた…。(;一_一)
多分この一角に、皿屋敷があったのではないかと…。
「帯坂」に面した五番町です。
何も無かったので電柱の看板を。。(゚∀゚)))))
やたらと番町の看板が目立つ。
何でも「番町」が入ってます。
(゚∀゚)))))。
この界隈は、緩やかな坂が多い。
盆地になってるのだろう。
これは、まるで“皿”の中のやうだ。Σ( ̄□ ̄;)ハッ
「番町皿屋敷」の旅でした。
怪談とは程遠い街並でしたね。
しかし、やたらと坂が多い。
皿屋敷とは、この土地一帯を皿に例えた様な感じでした。
それでは、この辺で。
最後まで、お付き合いありがとうございました。<(_ _)>
※追記
後日、撮り忘れた帯坂の標識を写してきました。
緩やかに下る帯坂。
丁度、仕事で同じ場所に行く機会が出来たんです。
お菊さんのはからいか…。(-人-)
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